若嶋津の基本情報
四股名 | 若嶋津 六夫 |
本名 | 日高 六夫 |
生年月日 | 1959/1/12 |
身長 | 188㎝ |
体重 | 122㎏ |
出身地 | 鹿児島県熊毛郡 |
出身校 | ― |
所属部屋 | 二子山部屋 |
得意技 | 左四つ、寄り切り、上手投げ |
初土俵 | 1975年大阪場所 |
十両昇進 | 1980年大阪場所 |
初入幕 | 1981年初場所 |
最終場所 | 1987年名古屋場所 |
最高段位 | 大関 |
通算成績 | 356勝219敗135休 |
受賞歴 | 優勝2回 敢闘賞2回 技能賞3回 |
幕内在位 | 40場所 |
若嶋津の強さについて
力強い四つ相撲で大関に昇進
若嶋津は、左四つからの上手投げ・寄り切りが得意な、正統派の四つ相撲力士でした。
188㎝、122㎏のスラっとした体格にもかかわらず、農作業で鍛えた体力を武器に力強い相撲を見せて順調に出世。
1975年に二子山部屋に入門し、6年がかりで幕内に昇進すると、その後は2年で大関に昇進。
毎場所で安定して二けた勝利を挙げ、最終的には優勝も2回経験しました。
千代の富士相手の分が悪く、横綱昇進のチャンスを逃す
若嶋津は、北の湖や北勝海、大乃国などの横綱とも互角の戦績を残しており、実力的には、いつ横綱に上がってもおかしくないといわれるほどでした。
しかし、若嶋津がキャリアのピークを迎えた80年代は史上最強クラスの横綱・千代の富士の全盛期。
若嶋津は千代の富士相手には、3勝25敗と大きく負け越しており、綱取りがかかる大事な場所で千代の富士に負けるなど、あと一歩のところで横綱には届きませんでした。
そして1987年の名古屋場所で、病気やケガが続いたことで引退となりました。
親方として
松ヶ根部屋を興した後に、名門・二所ノ関部屋を継ぐことに
現役を引退した若嶋津は、年寄名跡”松ヶ根”を襲名。
引退当初は、二子山部屋の部屋付きの親方として後進を指導しますが、1990年に独立。
松ヶ根部屋を興し、船橋市に部屋を構えます。
松ヶ根部屋では、松鳳山をはじめ関取を何人も輩出し、指導力が評価される中、2014年に年寄名跡”二所ノ関”を襲名。
当時、もともとの二所ノ関部屋は消滅状態でしたが、若嶋津が襲名したことで、昭和の大横綱・大鵬を輩出した名門”二所ノ関”の名前が復活しました。
自転車事故で頭部切開手術をする大ケガを負う
親方としては順調なキャリアを歩んでいた若嶋津ですが、2017年に自転車を運転していた際に転倒し、頭部を強打。
一時意識不明の重体となり、生死の境をさまよいますが、頭部切開手術などの懸命な治療の結果、なんとか一命をとりとめます。
その後、2018年には復活し、指導の現場に復帰しています。
若嶋津のキャラクター・逸話
”南海のクロヒョウ”と呼ばれる、イケメンぶりが人気だった
若嶋津は”南海のクロヒョウ”と呼ばれるイケメン力士でした。
188㎝の長身に加え、褐色の肌、精悍な顔立ちから人気が上昇。
その人気を表す代表的なエピソードは下記の通り。
・サッカー漫画「キャプテン翼」の人気キャラ「若嶋津」の名前の由来になる。
・タニマチから、ダイヤ入りの1億円オーバーの化粧まわしを贈られる。
・人気歌手の高田みづえさんと結婚。
などなど…
しかし、その長身痩躯で太りにくい体質は、相撲では「ワリバシ」と呼ばれており、ハードな猛稽古をしても、千代の富士のような筋骨隆々な肉体にはなれず。
現役晩年は増量のための食事や猛稽古がたたって、病気やケガに苦しみました。
部屋の様子を紹介する娘さんのYouTubeチャンネルが人気に!
若嶋津の家族で有名なのは、奥さんの高田みづえさんだけではありません。
娘さんのアイリさんもタレント活動をしています。
特に、YouTubeでは、二所ノ関部屋の稽古の様子や食事風景、インタビュー動画などを定期的にアップしており、チャンネル登録者数も右肩上がり。
相撲界でも屈指の人気のYouTubeチャンネルになっています。