大相撲:寺尾のプロフィールを紹介!【突っ張りを武器に活躍した”鉄人”】

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寺尾の基本情報

四股名寺尾 常史
本名福薗 好文
生年月日1963/2/2
身長186㎝
体重117㎏
出身地鹿児島県蛤良市
出身校安田学園高校
所属部屋井筒部屋
得意技突っ張り、右四つ
初土俵1979年名古屋場所
十両昇進1984年名古屋場所
初入幕1985年大阪場所
最終場所2002年9月場所
最高段位関脇
通算成績626勝753敗16休
受賞歴殊勲賞3回
敢闘賞3回
技能賞1回
幕内在位93場所

寺尾の強さについて

回転の速い突っ張りを武器に関脇に昇進!

寺尾は80年代から90年代にかけて活躍した力士です。

186㎝の長身と長い腕を活かした、回転力のある突っ張りを軸とする突き押し相撲を得意としていました

激しい突っ張りで千代の富士に善戦するも、送り吊り落としで惜敗

一方で、軽量だったため、素早い動きで相手をいなしたり、右四つからの寄り・投げといったパターンでの勝利も多い力士でした。

これらのバリエーション豊富な取り口を活かして幕内でも活躍し、関脇まで昇進し、三賞も合計で7回受賞、金星も7個獲得。

また、スピード感のある激しい相撲は海外でも評価されており「タイフーン」の異名を持っています

休場の少ない”鉄人”としても有名

寺尾は117㎏程度と、力士としては非常に軽量でしたが、現役時代は幕内で93場所と息の長い力士でした。

また、1,379回も幕内で相撲を取っているにもかかわらず、休場は16回と非常に少ないことも特筆すべき長所です

このように、休場が少なく相撲を取り続ける姿から「鉄人」の異名を持っていました。

親方として

錣山部屋を興し、何人も幕内力士・関取を育てる名親方に転身!

2002年に十両で負け越し、寺尾は現役を引退することになりました。
(なお、晩年の付け人は鶴竜だった、というエピソードもあります)

引退後は、年寄名跡”錣山(しころやま)”を襲名。

そして、引退から2年後には井筒部屋から独立し、錣山部屋を興します。

親方になってからは、父親(元井筒親方)譲りの厳しい指導で弟子を育成。

豊真将や、阿炎、青狼、彩といった幕内力士・関取を輩出する名親方として活躍しています。

錣山部屋のハードな稽古に、総合格闘家が挑戦する動画

寺尾のキャラクター・逸話

四股名は亡き母の姓が由来

四股名の「寺尾」は本名の福薗でもなければ、伝統的な四股名でもない名前です。

この名前の由来は、寺尾が高校時代に亡くなった母親の旧姓が由来といわれています。

もともと、相撲家系だった寺尾は角界入りするか迷っている時期があったのですが、ガンで闘病中のお母さんから「相撲取りになって」といわれたことで角界入りを決意。

角界入りを機に、寺尾を名乗るようになったのです。

三兄弟そろって関取に

寺尾は相撲一家の福薗家の三男として生まれました。

お父さんは、井筒親方(元関脇・鶴ヶ峰)、長男は鶴嶺山(元十両)、次男は逆鉾(元関脇・のちの井筒親方)と、家族全員が関取というエリート一家でした。

特に三兄弟のことは”井筒三兄弟”としてマスコミでも取り上げられるほど有名でした。

お父さんの井筒親方の指導は非常に厳しくて有名で、部屋のほかの力士よりも、息子たちがよく叱られたといわれています。

イケメン力士として大人気!

寺尾は、186㎝、117㎏のスラっとした長身に加え、彫りの深い容姿をしており女性から非常に人気がありました

現役当時は、美男としてだけでなくユーモアのあるキャラクターが評価され、たびたびバラエティー番組にも出演。

さらには、テレビゲーム「寺尾のどすこい大相撲」のキャラクターとしても起用されるなど、土俵外でも人気の力士として知られています。

太りにくい体質のため、増量に苦しむ

スラっとした体形もあって人気があった寺尾ですが、力士として強くなるための増量には苦労したようです。

若いころから、いくら食べても太りにくい体質のため、ほかの力士よりも多くの食事を食べる食トレを敢行。

寝ているときに食べ物が口からこぼれるほどの量を食べますが、なかなか体重は増えず、むしろ健康診断の数値が悪化するなどの苦労もあったようです。

親方となった現在では、無理な食事をしなくてもよくなったため、現役時代よりもさらにスマートで渋くてダンディな容姿となっています。

弟子の阿炎の活躍を喜ぶ錣山親方
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