大鵬の基本情報
四股名 | 大鵬 幸喜 |
本名 | 納谷 幸喜 |
生年月日 | 1940/5/29 |
没年月日 | 2013/1/19 |
身長 | 187㎝ |
体重 | 153㎏ |
出身地 | 北海道川上郡 |
出身校 | ― |
所属部屋 | 二所ノ関部屋 |
得意技 | 左四つ、すくい投げ 上手投げ |
初土俵 | 1956年9月場所 |
十両昇進 | 1959年5月場所 |
初入幕 | 1960年初場所 |
横綱昇進 | 1961年九州場所 |
最終場所 | 1972年5月場所 |
通算成績 | 746勝144敗136休 |
受賞歴 | 優勝32回 敢闘賞2回 技能賞1回 |
幕内在位 | 69場所 |
大鵬の強さについて
相手をしっかりと受け止める”横綱相撲”で60年代を支配!
大鵬は、基本的には四つ相撲を得意としている力士ですが、突き押しでも十分な実力を持っていました。
組んでよし・離れてよしで、どんな状況にも対応できるため、大きく苦手としている相手も少なく、勝ち星を積み上げることができたのです。
それを可能にしたのが、体の柔軟性・懐の深さです。
相手の攻めをしっかりと受けることができるため、手堅く自分のペースに持ち込むことができました。
数少ない弱点としては、長身のため腰高になることで土俵際の粘りがやや弱いことでした。
しかし、大鵬を土俵際まで追い込める実力を持つ力士がいなかったこともあり、致命傷にはならず。
最終的には、幕内優勝32回という大記録を樹立しました。
ライバルの柏戸と”柏鵬時代”を作る
柏戸は、大鵬と同時に横綱に昇進したライバルでした。
相手をしっかりと受け止め、四つ相撲でじっくり攻める大鵬に対して、柏戸は一気に寄り切るスピード相撲を得意としているなど、スタイルが異なることも、好対照な存在として人気を集めることに。
横綱に昇進した当初は、実力伯仲で優勝を分け合っていましたが、柏戸はケガで徐々に低迷。
同時期に並ぶ実力者がいなかったことで、大鵬の独走を許してしまいました。
実際に、大鵬が入幕してから横綱に昇進するまでの柏戸戦の戦績は、3勝7敗と大きく負け越しています。
もし、柏戸がケガに泣かなければ、歴史が変わっていたかもしれませんね。
大鵬のキャラクター・逸話
実はウクライナ人とのハーフ
大鵬は日本人らしい顔立ちをしていますが、実はお父さんがウクライナ人でお母さんが日本人のハーフでした。
生まれも樺太(現在のサハリン)であり、戦争の激化に伴い北海道にわたってきたのです。
その後、母子家庭で貧しい生活を過ごす中、二所ノ関部屋を紹介されたことで、高校を中退し、角界デビューを果たしました。
国民的な人気を得たことで流行語になる
大鵬はウクライナ人の血を引いている、ということもあり、色白・長身でソップ型のしまった体形の美男でした。
それに加えて、相撲で圧倒的な戦績を残したことで、当時の子供たちのあこがれの的に。
そして、当時はプロ野球では巨人がONコンビの活躍でも人気を博しており、子どもの好きなものとして「巨人・大鵬・卵焼き」という流行語が生まれました。
なお、大鵬は大洋ホエールズファンだったこともあり、あまりこの流行語は好きではなかったようです。
一方で、巨人の王貞治とは仲が良く、よく一緒にお酒を飲んだり親しい間柄でした。
親方としてのキャリア
一代年寄として”大鵬部屋”を興し、数々の弟子を育てる
通常、親方になるには”年寄名跡”を取得し、名跡の中から襲名します。
しかし、大鵬は現役時代に圧倒的な実績を持っていたことに加え、相撲にとどまらない人気を博していたため、一代年寄という特別待遇を受けます。
一代年寄とは、現役時代の四股名のまま親方として活動できる資格のことで、よほどの偉業を成し遂げた力士でなければ得られない資格です。
そして、大鵬は史上初の一代年寄となり、大鵬部屋を興します。
大鵬部屋では、関脇の巨砲(おおづつ)などをはじめ、多くの関取を輩出する名親方として活躍。
その後、定年退職する際に、もともと取得していた年寄名跡の「大嶽」を部屋の名前にしました。
相撲界初の文化功労者として叙勲される
定年退職後の2009年に、現役時代の功績がたたえられ、文化功労者として叙勲されることが決まりました。
国民栄誉賞は、千代の富士などが受賞していましたが、文化功労者を叙勲されるのは大鵬が初。
引退後も、偉大な記録・名誉を打ち立てたのです。
惜しまれる死
親方時代から、脳梗塞などの病気に苦しんでいた大鵬ですが、2013年に72歳で亡くなります。
死因は心臓の病気でした。
大鵬がなくなった時には、かつての盟友・王貞治や長嶋茂雄など、各界の著名人から哀悼のコメントが寄せられました。
孫も力士として活躍中!
大嶽部屋に納谷という力士がいます。
この力士は貴闘力の息子さんであり、大鵬の孫にあたります。
納谷は、将来有望な力士として注目されており、大鵬の没後も、そのDNAは脈々と受け継がれているようです。