大相撲:北の富士のプロフィールを紹介!【NHKの名解説者としても有名】

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北の富士の基本情報

四股名北の富士 勝昭
本名竹沢 勝昭
生年月日1942/3/28
身長185㎝
体重135㎏
出身地北海道旭川市
出身校
所属部屋出羽海部屋
→九重部屋
得意技左四つ、外掛け、上手投げ
初土俵1956年初場所
十両昇進1962年3月場所
初入幕1963年初場所
横綱昇進1970年大阪場所
最終場所1973年名古屋場所
通算成績592勝294敗62休
受賞歴優勝10回
殊勲賞2回
敢闘賞1回
技能賞3回
幕内在位64場所

北の富士の強さについて

速攻と上手投げ・外掛けを武器に横綱に昇進した実力者

北の富士は60年代から70年代にかけて活躍した力士です。

取り口としては、立ち合いから一気に左四つを差して投げ技・かけ技で仕留めるスタイルでした。

当時はスピード感のある相撲と、色白で整った顔立ちも相まって非常に人気のある力士でした

実力も申し分なく、最終的には横綱まで昇進し、優勝回数も10回を数えました。

大関での足踏みが続くも、一念発起し稽古に打ち込み横綱に昇進

北の富士は、中学卒業後に、出羽海部屋に入門するとメキメキと実力をつけます。

初土俵から6年がかりで十両まで昇進すると、1年もかからずに入幕、さらには2年で大関昇進

このまま横綱に昇進するかと思われましたが、九重部屋に移籍して出世頭となったことで誰も北の富士に文句を言う人間がおらず、夜遊び好き・稽古嫌いの性格に拍車がかかります

その結果パフォーマンスが安定せず、カド番を経験するなど、大関で4年ほど踏みとどまります

しかし、恩人が病気で余命幾ばくもない状況となり、一念発起。

稽古嫌いを返上し、稽古に打ち込むようになってからは、パフォーマンスが向上。

1969年の九州場所から2場所連続優勝を果たして、横綱昇進を決めました。

ライバル・玉の海が早逝したことで一人横綱の責任を負う

北の富士と同時に横綱に昇進した玉の海は良き友人であり、ライバルでした。

対戦成績も伯仲しており、大鵬がキャリア晩年を迎えていたこともあり「北玉時代」の到来が期待されました

しかし、玉の海が大鵬の引退相撲後に急死。

しばらくは一人横綱として角界を支える立場になりました。

一人横綱として土俵に上がり続け、貴乃花や輪島、北の湖といった後進が台頭したことで道を譲り、1974年の名古屋場所で引退しました。

輪島との熱い一番

親方としての活躍

引退後は九重部屋を継承!千代の富士・北勝海を育てる!

北の富士は直後は井筒部屋を興しましたが、12代九重が亡くなったことを機に、九重部屋を継承しました。

その後、先代から千代の富士の育成を引き継ぎ、巧みな指導で史上最強クラスの横綱に育て上げます

さらに、猛稽古の末に北勝海も横綱に昇進。

部屋から二人の横綱を輩出しただけでなく、1989年の名古屋場所で史上初の同部屋横綱同士での優勝決定戦など、九重部屋の最盛期を取り仕切った名親方として活躍しました

親方時代を語る北の富士氏

親方を退職後は名解説者に転身!

千代の富士の引退後に九重部屋を譲り、その後に八角部屋に移籍した北の富士は、陣幕に名跡交換し、相撲協会の理事として重役に就きます。

その後、相撲協会の年寄名跡問題を機に相撲協会を脱退。

NHKの解説やコラムニストに転身しました。

解説となってからは、辛口ながらもジョークを交えた軽妙な解説が好評となり、特に舞の海氏との掛け合いで人気を博します。

北の富士氏の迷言集

また、コラムニストとしての人気も高く、ニュースサイトへの寄稿などでも活躍しています。

北の富士のキャラクター・逸話

現役時代は遊び人で有名だった?

北の富士は、現役時代は稽古嫌いで夜遊び好きで有名でした。

夜な夜な銀座まで出かけて飲み歩いたことで「夜の帝王」の異名がつくほどでした。

現役当時は、長身色白で美男子だったこともあり、女性からの人気も高かったのも夜遊びに傾倒した理由の一つでしょう。

また、歌唱力も評価されており、レコードデビューを果たすなど土俵外の豪快なエピソードには事欠かない「現代っ子横綱」として親しまれていました。

「解説時は和服を着てほしい」と視聴者からの要望が殺到

北の富士といえば、相撲解説時の和装です。

もともと、和装以外にもスーツやラフな服装でメディアに出演することもあるのですが、解説時には和装を着ることが多いようです。

この理由としては、和服以外で解説に登場すると、ファンから「和服を着てほしい」「今日は和服じゃないんですか」といわれることが多いためで、ファンサービス的な要素もあるようです。

宇良のファン?一方で隠岐の海には手厳しい?

北の富士は解説時に宇良の話題になると「楽しみだね」「期待している」と上機嫌になるなど、宇良のアクロバティックな相撲がお気に入りのようです。

一方で、孫弟子の隠岐の海については手厳しい評価。

隠岐の海も北の富士と同じく”稽古嫌い”で知られていますが、もしかしたら隠岐の海の才能を評価しているからこそ、手厳しい評価をしているのかもしれませんね。

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