モンゴル勢の台頭と相次ぐ不祥事!2000年代の大相撲の出来事・事件を紹介!

若貴ブームに沸いた90年代が終わると、続いて訪れたのはモンゴル出身力士の台頭でした。

その一方で、不祥事が相次ぎ、角界にはブラックなイメージが付きまとうことになります。

今回は、2000年代に大相撲で起こった出来事・事件を紹介します。

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2003年:貴乃花の引退

94年の横綱昇進以降、海外力士との激しい戦いを制して22回の本場所優勝を成し遂げた貴乃花。

しかし、96年以降は相次ぐケガに苦しめられます。

そんな中で迎えた2001年の初場所の14日目の武双山戦で、巻き落としを食らった際に膝の半月板を損傷する大怪我を負い、翌日の千秋楽の出場が絶望視されました。

しかし、千秋楽に貴乃花は強行出場し、武蔵丸を優勝決定戦で下して自身最後の優勝を果たします。

このとき、当時の総理大臣である小泉首相から「痛みによく耐えて頑張った!感動した!」とその敢闘精神が称賛されました。

2001年初場所・貴乃花ダイジェスト

しかし、その怪我が選手生命を一気に縮めることになり、2003年の初場所・安美錦戦での敗退を最後に引退を決意。

引退時のコメントで「非常にすがすがしい気持ち」と語るなど、90年代の相撲人気をけん引した若貴ブームが完全に終焉を迎えました。

2005年:朝青龍が全場所優勝の完全制覇を達成!

貴乃花が引退した2003年の初場所後に、急成長を見せていた朝青龍が横綱に昇進を決めます。

その後、朝青龍は圧倒的なパフォーマンスで土俵を支配。

2003年は3場所、2004年は5場所(うち2場所は全勝)で本場所優勝を成し遂げます。

そして、2005年には史上初の6場所完全制覇を達成(うち2場所は全勝)し、朝青龍が完全に土俵を支配ました。

全盛期の朝青龍と白鵬のガチンコ相撲

2006年:白鵬と朝青龍が優勝を分け合い、モンゴル勢が角界を席巻

朝青龍が破竹の勢いで優勝回数を増やしていく中、同じモンゴル勢が次々と力を付けて優勝争いに加わります。

特に、その中でも白鵬は朝青龍のライバルとして、優勝争いを繰り広げ、土俵を盛り上げました。

また、当時は他に朝赤龍や時天空など、幕内で活躍するモンゴル人力士は増加する一方。

日本人力士も魁皇、雅山など実力ある大関が登場しますが、モンゴル勢の牙城を崩すには至らず。

10年間日本人力士の優勝ゼロが続くなど、土俵は完全にモンゴル人力士に支配されました。

2007年①:朝青龍サッカー事件

7月25日に民放ニュースで、朝青龍が地元のモンゴルでサッカーを楽しみ、豪快なシュートを決める映像が流れたことが物議を醸します。

というのも、当時朝青龍は、腰痛などで全治6週間の怪我を負い、8月の巡業を休む予定になっていました。

全治6週間の大怪我のはずが豪快なシュートを決めました。

また、モンゴルに帰国することは師匠である高砂親方にも知らされていなかったのです。

そのことで、協会には猛抗議が殺到し、巡業を取り仕切る親方衆も激怒。

日本に戻った朝青龍は、元サッカー日本代表の中田英寿氏のチャリティーイベントのオファーを受けたため、と北の湖理事長(当時)に釈明しましたが、言い訳としては通らず。

減給・出場停止・謹慎処分という非常に重たい処分を受けます。

しかし、その後朝青龍に精神疾患の症状が出たとして、理事会は再度の帰国を許可するなど、朝青龍のやりたい放題を止めることができず。

朝青龍の横綱としての品格が疑われると同時に、朝青龍の言いなりになる、北の湖理事長や高砂親方も批判の嵐に曝されることになりました。

2007年②:時津風部屋 若手力士傷害致死事件

名古屋場所直前の6月に、時津風部屋の序の口力士・時太山(斉藤俊)が稽古後に死亡したことが報道されます。

死因を調べると、多数の外傷性ショックによる心不全との診断が下り、稽古内容に捜査のメスが入ることに。

警察が聴取を進めると、稽古の際に兄弟子からの「かわいがり」と呼ばれる、長時間のぶつかりげいこに加え、ビール瓶で殴られるなどの凄惨な暴力行為が明らかになりました。

暴行事件を伝える当時のニュース

当時、時太山は部屋からの脱走を企てたことで、制裁の意味合いで「かわいがり」を含める暴力行為が度々行われていたようです。

その後相撲協会は、自らもビール瓶で弟子を殴り、暴行を黙認した時津風親方(当時)を解雇し、兄弟子3人も逮捕・起訴されたのちに解雇処分に。

相撲界で古くから「かわいがり」として制裁を加えることが世間にも知れわたり、相撲界のイメージは「前時代的かつ暴力的」なものと認知されてしまいました。

2008年:力士による大麻取締法違反事件

前年の朝青龍サッカー事件・若手力士死亡事件にとどまらず、大きな事件が続きます。

8月にロシア出身の幕内力士が落とした財布から大麻が見つかり、大麻取締法違反(所持)容疑で逮捕される事件が発生。

暴力事件の次は、薬物事件が勃発

その後、協会が抜き打ちで簡易尿検査を進めたところ、幕内・露鵬と十両・白露山の二人から大麻陽性反応が検出されます。

2人は容疑を否認しましたが、精密検査の結果、陽性が確定し、解雇処分になります。

また、白露山は当時の理事長・北の湖部屋の力士であったため、責任を取って北の湖理事長が辞任する事態にまで発展し、協会は大混乱。

翌年にも幕内の若麒麟も大麻所持が発覚したことで、解雇されます。

朝青龍の傍若無人なふるまいや、暴力事件だけでなく、薬物汚染まで加わり、いよいよ角界のイメージは地に落ちることとなります。

2000年代を彩った力士たち

朝青龍:2000年代を支配した横綱。奔放な言動・行動が物議を醸したが実力は本物。
白鵬:朝青龍のライバルとして台頭。2010年代は第一人者として角界をけん引。
魁皇:幕内在位100場所以上の長命な大関。優勝も5回経験し、実力も十分。
千代大海:千代の富士である九重親方が育てた最初の関取。優勝3回を経験。
雅山:大関まではスピード出世を遂げた。現在の二子山親方。
栃東:2002年に優勝し史上2人目の父子優勝を成し遂げた大関。
琴欧州:ブルガリア出身の移植の大関。2008年5月場所で初優勝を飾る。
把瑠都:四股名は出身のバルト三国(エストニア出身)が由来。大関まで昇進。
高見盛:立ち合い前の独特のパフォーマンスから「角界のロボコップ」と呼ばれた。
安馬(日馬富士):朝青龍・白鵬に続くモンゴル人力士として台頭。のちに横綱に昇進
稀勢の里:18歳で幕内に昇進するなど、驚異的な出世スピードが話題に。のちに横綱に昇進

2000年代の優勝力士一覧はこちら

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