双葉黒の基本情報
四股名 | 双葉黒 光司 (ふたはぐろ こうじ) |
本名 | 北尾 光司 |
生年月日 | 1963/8/12 |
没年月日 | 2019/2/10 |
身長 | 199㎝ |
体重 | 157㎏ |
出身地 | 三重県津市 |
出身校 | ― |
所属部屋 | 立浪部屋 |
得意技 | 右四つ、寄り切り、 すくい投げ |
初土俵 | 1979年大阪場所 |
十両昇進 | 1984年初場所 |
初入幕 | 1984年9月場所 |
横綱昇進 | 1985年9月場所 |
最終場所 | 1987年九州場所 |
通算成績 | 197勝87敗16休 |
受賞歴 | 殊勲賞5回 技能賞2回 |
幕内在位 | 20場所 |
双葉黒の強さについて
巨体と豪快な取り口で”ポスト・千代の富士”として期待される
双葉黒は80年代に活躍した力士です。
2m近い長身に加え、柔道で鍛えた運動神経・腕力を武器に活躍。
取り口としては、投げ・寄りを軸とした力強い四つ相撲を得意としていました。
その類まれな体格と、運動能力が評価され、80年代の最強横綱・千代の富士の次世代のスターとして期待される存在でした。
才能はずば抜けているものの、精神面に問題があり十両昇進は遅れる
中学卒業後に立浪部屋に入門すると、土俵内では体格とパワーを武器に実力を発揮。
しかし、甘やかされて育った境遇もあり、相撲部屋の厳しい指導には耐えられず、脱走を図ったり、稽古に文句を言うなど問題児としても親方の頭を悩ませる存在でした。
そんな経緯もあり、才能は評価されながらも、なかなか芽が出ずに十両昇進までは5年を要しています。
将来が期待され、優勝経験なしで横綱に昇進
十両昇進後は、才能が完全に開花し、わずか3場所で入幕を果たします。
幕内上位にあがってからは、横綱・千代の富士や隆の里を下すなど破竹の勢いを見せ、出世街道に乗り、入幕から2年で大関に昇進。
大関昇進後も、2場所連続で優勝次点・優勝同点と、千代の富士との激しい優勝争いを演じたことでさらに評価が上昇します。
今後の活躍と成長の伸びしろが期待され、異例の”優勝経験ゼロ”のまま横綱昇進を果たします。(1986年の名古屋場所後のこと)
しかし、先述の心の問題は当時から指摘されており「才能は疑いようがないが、心技体の”心”の部分が横綱の格に相応しくないのでは」という声が上がっていました。
そして、その不安は的中することになります。
親方との確執から部屋を脱走し、そのまま引退へ
横綱昇進後は、内臓疾患に苦しみながらも、千代の富士や北勝海といった横綱同士と死闘を繰り広げ、優勝決定戦に持ち込むなど、素晴らしいパフォーマンスを披露。
しかし、あと少しのところで九重部屋勢に阻まれ、優勝には届きませんでした。
そうして迎えた1987年の12月に、部屋でちゃんこを食べていた際に、親方と口論を興してしまいます。
見かねて止めに入った女将さんを誤って殴ってしまい、親方が激怒。
そのまま双葉黒は部屋を飛び出し、自宅マンションに引きこもってしまいました。
その後、再三の説得にも応じなかったことで、立浪親方が相撲協会に双葉黒の廃業届を提出し、受理され引退となります。
実質”破門”の扱いを受けた双葉黒は、その後引退会見を開き「立浪親方のやり加担はついていけない」「インタビューするならギャラを払ってほしい」などの放言を連発。
大バッシングを受けることとなりました。
双葉黒のこの一件が残した影響は大きく、その後の横綱昇進基準の厳格化や、横綱に”品格”を強く求めるようになったきっかけとなりました。
引退後の双葉黒
プロレスラー・総合格闘家への転身
角界引退後の双葉黒はタレントとして活動するも、当時から「引退後はプロレスしかないだろう」との周囲の予想通り、プロレスラーに転身します。
新日本プロレスでデビューするも、引退時のイメージダウンもあり、ヒール(悪役)としての活躍がメイン。
実際の試合内容や行きすぎたパフォーマンスがプロレスファンから酷評されるなど、受け入れてもらえない状況が続きます。
そんな中で、力士時代から続くさぼり癖や長州力への暴言が引き金となり、新日本プロレスから契約解除され、別団体のSWSに移籍するも、そこでもトラブル続き。
その後は総合格闘家に転身し、様々なビッグマッチを経験し、1998年には現役引退を表明しました。
早すぎる死
総合格闘技を引退した双葉黒の次のキャリアは、なんと驚きの角界復帰でした。
立浪親方との和解、相撲協会との関係改善を済ませ、2003年に立浪部屋のアドバイザーに就任します。
このまま後進の指導にあたり、過去の汚名を返上するかと思われていました、当時から腎臓病や糖尿病といった重い病気の闘病生活は始まっていました。
そして長い闘病生活の末、2019年に55歳の若さで急死します。
相撲協会や立浪部屋関係者とも連絡を絶っており、葬儀も家族葬で済ませたことで、双葉黒が亡くなってしばらくたってから、その死が知られることになりました。
双葉黒のキャラクター・逸話
型にはまらない現代っ子な一面があった
精神面が未熟で、問題児として知られている双葉黒ですが、伝統の型にはまらない現代っ子として知られていました。
80年代当時は角界に浸透していなかった、栄養学の知識を持っていたり、パソコンやファミコンなども得意な多趣味ぶりで「新人類」と呼ばれていました。
先進的で「個性」を重んじる性格が、相撲界の「伝統」を重んじる文化とは水が合わなかったのは想像に難くありません。
生まれる時代が違えば、もしかしたら偉大な横綱として名誉あるキャリアを過ごしていたのかもしれませんね。