大相撲:智乃花のプロフィールを紹介!【教師から力士への異色の転身】

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智乃花の基本情報

四股名智乃花 伸哉
本名成松 伸哉
生年月日1964/6/23
身長175㎝
体重115㎏
出身地熊本県八代市
出身校日本大学
所属部屋立浪部屋
得意技右四つ、下手投げ、
下手ひねり
初土俵1992年大阪場所
(幕下付け出し)
十両昇進1992年九州場所
初入幕1993年名古屋場所
最終場所2001年九州場所
最高段位小結
通算成績104勝121敗15休
受賞歴技能賞2回
幕内在位16場所

智乃花の強さについて

多彩な技で相手を翻弄する小兵力士!

智乃花は、90年代に活躍した力士です。

175cm、115㎏と小柄な体格を活かして相手の懐に入り、下手投げ・下手ひねりといった技で決める四つ相撲を得意としていました。

貴乃花の激しい突っ張りをしのぎ、下手投げで仕留める!

四つ相撲の技術は優れており、技能賞には2度輝いています。

また、幕内での戦績も優れており、最終的には小結まで昇進するなど、実力が高く評価された力士でした。

教員を辞めて角界入り!

智乃花は、異色の経歴の力士として有名です。

日大相撲部ではキャプテンをつとめ、誰もが角界入りを期待しますが、卒業後の進路はまさかの高校教員。

大学卒業後は教鞭を振るいます

中学や高校の保健体育教員として務める傍ら、アマチュア横綱に輝くなど順調な教員生活を営んでいました。

しかし、大学の後輩であり、自分よりも身長の低い舞の海が「技のデパート」と呼ばれるほどの活躍を見せたことに奮起。

大学の後輩であり、技能賞常連の舞の海との手に汗握る一番

27歳で妻子持ちという境遇でありながらも、裸一貫で立浪部屋の門をたたき、1992年の大阪場所で、幕下付け出しで初土俵を踏みます。

なお、27歳での初土俵は年6場所制になってからは最年長記録であり、また妻子持ちでの初土俵も史上初の出来事でした。

角界デビュー後は、出世街道に乗るもケガに苦しむ

付け出しデビューということもあり、智乃花の出世は早いものでした。

初土俵からわずか5場所で十両に昇進すると、翌年の9月場所で初入幕を果たします。

そして初土俵から負け越し知らずで出世街道に乗り、94年の初場所で三役・小結昇進を決める順調なキャリア。

しかし、そこからは小柄な体格と年齢からくる無理な相撲がたたり、ケガの連続でした。

わずか1場所で三役から陥落すると、幕内下位・十両で相撲を取る生活が続き、2001年の9月場所で負け越して幕下陥落が決まったことで引退となりました。

十両に落ちても、老獪な技を見せてくれました。

親方としての活躍

引退直後は、年寄名跡を取得していなかったため、準年寄の智乃花として、立浪部屋の部屋付き親方として親方キャリアをスタートさせます。

その後、魁皇からの借り名跡・浅香山を名乗ります。

そして、2005年に指導方針の違いから立浪部屋を離れ、友綱部屋に移籍すると、年寄名跡”玉垣”を襲名しました。

指導方針としては、小兵ながらも、多彩な技で相手をほんろうした現役時代の技術を、後進に伝えるとともに、教員経験者らしく丁寧な指導で後進を育成しています。

智乃花のキャラクター・逸話

独特のキャリアと技の豊富さで人気力士の一人だった

大学の後輩・舞の海が「技のデパート」と呼ばれ人気を博していましたが、智乃花も負けず劣らず人気のある力士でした。

教員出身という異色のキャリアで、初土俵から負け越し知らずということに加え、舞の海に劣らない技のレパートリーがあることで、一気に人気が上昇。

珍しい決まりて「居反り」で勝利する智乃花

幕下下位・十両が主戦場ではありましたが、ニュース番組で単独特集が組まれるほどの人気ぶりでした。

ニックネームは「センセイ」

教員出身ということもあり、智乃花のニックネームは「センセイ」でした。

引退して親方となった今でも愛称は変わっておらず、相撲ファンからは愛される存在として親しまれています、

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